京都アニメーション放火殺人事件

 表示-継承4.0 | 放火により全焼した、京都アニメーション第一スタジオ(京都市伏見区)

本事件の報道においては消防設備の不備の有無やドアは施錠されていたかという防犯面の話題が繰り返し強調されていた。

基準を満たす事が=安全ではないと言う事は災害対策においては自明のことである。
56名の犠牲者がでてしまったことの反面、20名以上の方は建物内からの避難に成功している。
私は、この事実に着目したい。
設備(ハード)よりも、人の行動(ソフト)こそが未来の犠牲者を減らすことにつながる道だと信じているからである。

大きな被害が出た事件では、対応に対する議論がしにくいこともわかる。
しかし事件後3ヶ月以上が経ち、肝心な「どうすれば犠牲者は助かったのか」の議論に至らないまま、報道自体が少なくなってしまった。

京都アニメーション放火殺人事件(きょうとアニメーションほうかさつじんじけん)は、2019年(令和元年)7月18日に京都府京都市伏見区で発生した放火殺人事件。
株式会社京都アニメーションの第1スタジオに男が侵入し、ガソリンを撒いて放火したことで、同社社員の69人が被害に遭い、うち36人が死亡、被疑者を含む34人が負傷した。
[参照元] Wikipedia : https://ja.wikipedia.org/wiki/京都アニメーション放火殺人事件

2階から避難した方がこのように証言している。
「大きな爆発音がして、15秒後くらいに黒煙が(螺旋階段を)上がってきた」

爆発音という単語から推測するに、犯人はガソリンを上空(空中)に向けて散布したのだと思う。地面に撒いたガソリンに着火するのとは段違いの爆発燃焼が起きるからだ。
それから、そのような規模の爆発燃焼であっても、2階より上に先に到達するのは炎ではなく煙であるということがわかる。
そして、煙が上がってくるまでの間にはわずかながら退避行動のための猶予時間があるということが読み取れる。

司法解剖の結果、27名の方が焼死と判断されたという。
火災事故で扱われる焼死という死因には、 煙および各種毒性燃焼生成物によって完全に行動不能に陥った後に炎にまかれたものも含まれる。

先述の証言でもわかるように、爆発のあった一階以外の空間には、まずはじめに煙が充満したと思われる。
2階、3階の被害者は、急激に発生した煙(COはじめ各種毒性燃焼生成物)により視界不良・呼吸困難・行動麻痺に至り、ある程度の時間経過後に最後は熱・炎にまかれて死亡したのではないだろうか。

また、被害者の多くが4階屋上に出る直前の屋内階段上で息絶えている。
外気のある屋上まで、あとはドアのロックを外し、ハンドルを下げればいいだけの場所だ。
これも先述の視界不良・呼吸困難・行動麻痺の影響だと思われる。

視界がほぼ無い中、手探りで壁を伝い階段を一段ずつ上がっていく。
ドアには鍵がかかっていたかもしれない。
ドアノブの形状はどうなっていただろうか。
これも記憶を頼りに、または手の感触だけで確かめなければならない。
そうしている間にも大量に有毒ガスを吸入している。
解錠に成功し、いざドアノブを下ろさんとするその時、すでに中毒症状により、ドアノブにかけた手にはノブを下ろす力が残っていない。

火災事故において同様の事例は多々ある。有名なのは1980年の川治プリンスホテル火災だろう。これも外に出る直前のドアの前で大勢が折り重なって死亡していた。

つまり、これは想定できた事態ということである。
ガソリンを撒かれる想定はできないが、 火災時に屋上まで避難する想定の訓練はできたはずなのである。

火災対応における大原則は「視界の確保」と「呼吸の確保」である。

実はこれは40年以上前からすでにはっきりとした根拠をもって提唱されている事実である。
それがなぜ現代において周知徹底されていないのか。悔やまれるばかりである。

殆どの方は知らないと思うが、約40年以上前から、消防庁には火災避難用呼吸保護具(いわゆる防煙マスク)の基準が存在している。

仮に呼吸保護具(防煙マスク)が身近にあり速やかに装着して呼吸の保護ができれば、もし防災訓練で視界の悪い中、屋内階段を上り手探りで開錠してドアを開ける訓練をしていたら。かなりの人たちは生き延びたのではないか。

お飾りの防災組織、セレモニー化した防災訓練は却って被害を拡大させることもある。
つまるところ人的被害が無ければいいのである。
本件をきっかけに、これから火災に対する正しい知識・訓練・装備が国民に普及していくことを痛切に願う。

(了)